musetteの公演レポート

BOXMAN―俺に破れない金庫などない―

2004.3.26

あんまり何回も見たら楽しくなくなってしまうかもな〜と思いながら、唯一の6時公演を見てきました。

魔物も姫も母もできるなら、同年代・等身大女性だってそりゃあできるでしょう、ドリー・ペイジ、どんどん掘り下げてます。宝塚で、ヒロインがこういう現実路線、自分探し路線というのも珍しい。他の組の作品で姫でもなんでもない普通の娘でも、役作りや話し方、どこかにやっぱり「娘役」なところは残ってるように感じてたんですが、正塚作品でまりちゃんがやるとちょっと違う感じです。最近つづいた「10代の娘」と離れて、それはうれしい(涙)。
今までになかった作品と役柄というところは、古いファンには珍しいので回数重ねて見ると変化が面白いんだけど…何もこういうのは宝塚でなくてもいいんですよね。テレビドラマでも映画でも似たようなのはたくさんあるんですから。(宝塚ばっかり見てるとわからなくなるときもありますけどね〜。)

えーと、ますますドリーの心の振り幅が大きくなっております。震えの持病も、そうとう激しく震えてます。
ケビンが「街を出る」というあたりではボトボト涙こぼして泣いてセリフもすぐには出てこないほどの涙声、鼻声です。こんなに泣きながらセリフ言うのは、名古屋の「二人だけの戦場」以来。
正塚作品はやっぱりツボなんでしょうか。
こんなに泣いててよく間違えないねえ…、と感心していたら、
「手紙でも、ないよりはいいかも」というセリフを
「…手紙を…ちょうだい」と間違えていました…。

母親との関係修復もとってもいいですね。今まで押さえてきた自分の気持ちをしっかり伝えられて、安心して泣いちゃう、なんてことありますもんね。
でも、あんまり泣きすぎて深刻になりすぎたり、ドリー側に客席を引っ張り込みすぎたら、作品のノリとしちゃちょいとヘビーすぎるかも?「ほろっと」加減がむずかしそうな…。

今までは、自分がしたいこととかもよくわからずに、ときどきムリに背伸びして生きてきたドリーが、自分の問題に立ち向かって一つ一つ解決していくところは共感できます。いいことと悪いことがシーソーのように襲いかかるから、その差をはっきりさせていきたいなら、それもわかる。
でも、もうちょっと軽めのほうが作品としてはいいのかもなぁ、なんて思いました。青年館初日くらいの、ちょっと軽めの読後感ってけっこう好きだったんですよね。
まじめドリーだから、チャンプみたいな変な人とのギャップがあっていいのかもしれないのですが。
まりちゃんがやると、どうしても明るくはならないですからねえ(汗)。

ちょっと気になったのは、冒頭付近の「気の合うビジネスパートナー」というくだりのドリーとケヴィン。
その時点の「同僚」にしては、二人の距離がどうにも近くありませんか?
和央・花總コンビならそれもありでしょうが、普通の同僚なら、アメリカ人であろうと通常の個人間なら仕事中はお互いもうちょっと離れてるほうがそれらしいような…。
じゃないと「デートかと思ったけど違うのね」とはならないでしょー。宝塚からだからとか、愛情表現してるかどうかより、ふだんのお互いの距離でどんな間柄だかわかるものだと思うから。
ケヴィンは基本的に受け身だから、無意識にドリーがとる距離としては、同僚>好き>ハッピーエンドだと思う…。

何回もこんなこと考えてみるほうが間違ってるのかもしれませんねー。すいません。
私は、毛色の変わったこんな作品だから、お茶会でどんな話してくれるのか、興味があります。