2004.7.25
※ボヤキ主体です。作品が好きな方や登場人物がダイスキな方は読まないでね。全部読んでから怒っても知りません。
東京に行ったからといって、脚本が変わるわけでもありません。
「ファイントム」です。
「ベルばら」のときの東京のオケがすばらしかったので、なんとなくオケには期待していたのですが、最近はダメですねえ…。オーバーチュアのあと、バイオリンを立たせますが、まだそこではそんなに大拍手する気になれません。大劇場とは楽器の編成が違うので、そこを楽しみましょう。
やたらはじけております。フィリップに名刺をもらってはしゃぎながら袖に入ります。
オペラ座に行くときは、小雨?傘から手を出して空模様を確かめるような動作が増えました。たぶん既製品の傘(骨は12本?16本?)、大劇場ではフラップがぴらぴらしてたんですが、東京では垂れないようにしてあるのでしょうか。楽屋を訪ねるときも傘をたたんでもっていきます。そーですよね、傘立てなんてないですよね(笑)。
エリックはどこかツボでも押したのか??と疑いたくなるクリスティーヌの気絶。いや、気絶しかけたところをお姫さま抱っこ。カルロッタの薬は、声が出なくなって楽屋に戻ったら今度は気を失うように調合されていたのか??テキトーに作ってるようにみえるけど…。
例の自動ドア、心なしか開閉がゆっくりになったような…。今までが認証性油圧式、とすれば、東京は滑車と重りで動いてるような感じですかね(笑)。エリックが踏んだであろう小さなボタンはどこにあるの??
四本の柱の位置が大劇場よりも後ろのバトンに吊られるようになり、下手に向かう舟と柱の動きがかぶらなくなりました。このほうが美しいですね。スモークの量が多くて、クリスティーヌがすっぽり包まれてしまうので「ほんとに息は大丈夫なの??」と心配になります。
舟の中には人が入って運転しているそうです。
東京宝塚大劇場のほうが舞台の奥行きが狭いのか?舟は真ん中にまっすぐ止まらず、ちょっと上手寄りに、舳先を客席がわにわずかに振った角度で止まる舟。相変わらずギュルギュルとゴムタイヤの音が聞こえてくるのですが…まあ、しょうがないでしょう。でも、初日みたいに1回バックしてから戻るのは勘弁ね>お舟ちゃん
ふと目覚めて、肖像画を見上げるクリスティーヌ。「自分とそっくりだわ」とか、びっくりしないの??クリスティーヌは「声が似ている」のであって姿まで同じなんじゃないでしょ??だったらキャリエールは一目見て驚くはず。まだ若いんだし、フランス人だし、自分で行くかも(笑)。
さて、キャリエールの身の上話が始まります。
コピット版の脚本にあったというキャリエールの過去の説明をなぜカットしたんでしょうね。「愛する人にめぐりあえたけれども、結婚はできなかった」ということがもう少しちゃんとわかる演出をしてもらえればまだよかったものを…。だからといって、幼いエリックに父と名乗れなかったことへの罪滅ぼしにはならないように思いますが。
謎の騎馬戦ですが、エリックのもっともだいじな記憶としてベラドーヴァの面影があり、そのイメージに限りなく近いクリスティーヌがあるというのはわかります。でもあの騎馬戦、母とクリスティーヌが馬上で「お母様ですね」「息子をよろしく」みたいに微笑みあうのはおかしいと思うんですよ。ここでも生きてる人と死んだ人が交流してるじゃないですか。よくある『亡くなったやさしい父母が、夢の中で微笑みあい、息子に語りかける』ってんじゃないんですよ。クリスティーヌとベラドーヴァは同じときに生きていないんだから。
それぞれがエリックに語りかけてくるということなら理解できるんですが、わざわざ騎馬戦のために舞台からはけて、また戻ってくるというのも解せませんね。
しかも肖像画はいつ描かれたものか知らないけど、ベラドーヴァには似てないしな…
カルロッタを殺してきたエリック。その衣装のままデートです。
妙に子供っぽくてハイテンションなのが…いじらしいと思うのか、ちょっとヤバイと思うのかは、
ここまでの物語への感情移入度で違うかも。勢いで「僕はさっき、君のためにカルロッタを殺してきたんだよー!」なんて言ってしまいそうです。
クリスティーヌは騎馬戦効果かなんかわかりませんが、満ちあふれる愛を示したくてしょうがない様子です。やっぱり詩集は1ページ目を読みます。そこには謝辞とかが書いてあって、詩は載ってないと思うのよ(笑)。
さて、「クリスティーヌ―私にはずせない仮面などない―」と言わしめた(誰が?)名場面。
ここにどうしても違和感があるんです。
しかも、なぜクリスティーヌはあんなに苦しそうに歌うのか?心をこめてるからとか、技術的年齢的にムニャムニャとか、今すぐ仮面をとってもらわないと、舞台の進行上で逃げる都合もあるから、とか、まあいろいろあるのかもしれないんでしょうけど…声に愛は感じますが、どうも表情が美しくないんですよね…。肖像画の穏やかな表情とはずいぶんかけ離れています。
母の肖像画を背負ってまで「さあ、さあ」と仮面を取るように促す。いうよりは強要しているような…。クリスティーヌにとっては、久しぶりの能動的行動ですね。
そこらがまだ未熟で、『愛という名の過ち』を犯した、ということですか?それがエリックにもわかったと?未熟者に見せちゃうからそんなことになるのよ。それで、自分まで母親に見捨てられたようになってしまうの?
…たぶんね、これは若さゆえの過ちとみればそんなに違和感ないんじゃないかと思うんですよ。
コンビが大人で、たぶん演出で要求されたことを場面場面できちんと表現できることができて、だからよけいに、私は「芯の通っていない、一貫性のない人物造形」に納得できないのかも…と思うのでした。
たかこさんもまりちゃんもとても美しいし、それゆえに成功した演目なんだと思います。その点についてはなんの文句もないんですけどねぇ。演出がね…。
クリスティーヌが逃げたあと、セットのしかけがばれてしまいます。叫んだだけで布が飛んでいってしまうなんて、ちょっとO次郎なエリック。(わかるひとだけわかってください^^;)
天井からは汚れて破れた布が垂れ下がり、上方の鉄格子のはまった窓から漏れた光をさえぎるようになりました。センター後方には汚れきったフランス国旗。パリ・コミューンの残していったもののようです。スタンドはぴっかぴか(しかもあの質感はどう見てもメッキか、上等なところでステンレスな現代物)だから新品をエリックが用意して、従者が毎日磨いてるってことかな…。窓も国旗もどうでもいいねんけどな…。それより、あの緑色の光がどこから来てるのか教えてほしいわー。
「もう一度あなたにめぐりあいたい」と歌って、そのまま暗い下手袖に入っていくクリスティーヌ。
舞台上には幸せなエリックが1人、クリスティーヌを想いながら歌います。
ものすごーくその場しのぎでもなんでも、死人と生きてる人が一緒に舟に乗るよりも、このほうがずっと良いかと思います。
でもあの世でも仮面はつけてるのね、エリック(泣)。
新公のラストはどうなるのか楽しみですわぁ。
しかし、フィリップって、ただクリスティーヌをオペラ座に連れてきた人物ってことになってませんかねえ…。おいたわしい。