総督邸、マリーの私室。下手にはこの部屋のドア。舞台中央にテーブルと椅子のセット、長椅子の脇のテーブルにこぼれるほどに紅い冬バラが飾られている。上手には寝室へ続くドア。
マリーがくつろいだ服装でいかにも落ち付かないように座っている。ジェローム夫人が入ってくる。
マリー「誰もいないかしら?総督閣下は?」
ジェローム夫人「ええ、そりゃあもうどなたも。侯爵様は今日からご予定のご旅行でございますもの、お帰りであるはずがございませんでしょう。侯爵様ご旅行中は召使達もお嬢様付き以外の数名と料理番を除いてはなぜかお暇をいただいておりますしね。何を企んでおいでです、お嬢様」
マリー「(平静を装って)……あら、人聞きの悪いことを言うのね。お里帰りのランベルタン夫人が国から私へ贈り物をグラナドス伯爵に託けてくださったというの。先ほどグラナドス家から使いが来て、これから伯爵ご自身が届けてくださるそうなの。そんなところを口さがない者達に見られて、変な噂でも流されては伯爵に悪いわ。そうじゃなくても夏の終わり頃には嫌な思いをなさったでしょうに。わざわざ届けてくださるのに。どうしてそんな言い方しかできないのかしらね」
ジェローム「……わざわざですか……まあ、そうでございましょうよ。贈り主がランベルタン様だってところが怪しすぎて私には何とも……。ご迷惑をお掛けしたくないのなら、こんな私室でなくて、ご謁見室でもなんでもお使いになればよろしいものを。」
マリー「お世話になった方にそれはあまりにも失礼ではなくて?」
ジェローム「そうでございますか?ではそのお衣装は失礼ではないのでしょうか?総督夫人?」
マリー、むっとしてジェローム夫人を睨む。
ノックの音がする。マリー顔色がみるみる歓びとも戸惑いともつかぬ表情になる。
召使「失礼いたします。ロドリーゴ・デ・グラナドス伯爵様がお越しです。あの…奥様、本当にこちらへお通ししてよろしいのでしょうか?」
ジェローム「(マリーを睨んで)奥様がそう命じられたのなら、そうなさい。粗相のないようにね」
召使「はい。畏まりました」
ジェローム「やれやれ……。私もお暇を頂いた方がよろしかったのでしょうかしら?」
再びノックの音。ジェローム夫人が扉を開けると、そこに略礼装姿のロドリーゴが立っている。
マリー「ロドリーゴ……」
ロドリーゴ「総督夫人、お久しゅうございます」
マリー「遠慮なさることはないわ、お入りください。ごめんなさいね、面倒なことをお願いして。ジェローム夫人、お茶の仕度が整ったら外して頂戴」
ジェローム呆れた風にマリーを見て、早々に仕度を整え立ち去る。
マリー、それを待ちかねたように、ロドリーゴの中に飛び込む
マリー「心配しておりました。あの日から居ても立ってもいられないのに、迂闊に動くことも出来なくて。ロドリーゴ、大丈夫でしたか?私のせいでご迷惑をお掛けしたの……」
ロドリーゴ「ご心配なさることはありません。何もあなたのせいではありません。大丈夫、ただの噂です。誰も私の恋の相手があなただと気付くわけがない。……私は名うての遊び人ですよ……」
マリー「でも……」
ロドリーゴ「忘れましょう……今は」
ロドリーゴ、マリーに優しい口づけ。そしてマリーをソファに誘う。
マリー、ロドリーゴに寄添って
マリー「あなたが皇太子殿下に随行されてご出発なさってから、ランベルタン夫人のお手紙を受け取るまで、いいえ、ご帰国のご挨拶を伺うまで、私、生きた心地がしなかった……あなたの身にもしものことあったら……って。随行とは名ばかりで実は総督閣下は何もかもご存知であなたを……」
ロドリーゴ「(遮ってマリーを強く抱いて)お止しなさい。何もなかったのです。私はこうやって無事に帰って参りました」
マリー「(見上げて)ロドリーゴ……」
ロドリーゴ「(優しく微笑んで)この私がたった一人の女性の姿がないばかりにこれほど辛い想いをしようなどと……ホアン・ソラレスが聞いたらきっと大笑いしますよ」
マリーじっとロドリーゴを見詰めつづけている。
ロドリーゴ「はっきりと分りました。あなたのいない場所では生きていけないと……」
マリー「ロドリーゴ……!」
マリー、ロドリーゴにきつく抱きつく。
ロドリーゴ「(抱きしめて)さあ、私達の将来を考えましょう」
マリー「……将来……?」
ロドリーゴ「そう、将来。私とあなたの将来です」
マリー「……いいえ、将来など私には必要はないの。今、あなたの瞳は私だけを見詰めてくださっている。あなたの腕が確かに私を抱いている。何よりもあなたの愛が真実であると私は身体中で感じているわ。今私は生まれて来た事を初めて幸せだと感じているの。ね?もう、投げやりで寂しそうなもう一人のマリーはいないでしょう?」
ロドリーゴ「マリー……」
マリー立ちあがり、両手を広げて踊りまわり、ロドリーゴに駈けよって頬に軽いキスを投げかけ、楽しげに笑い声をたてながら花瓶から1輪のバラを抜いて愛しげにロドリーゴに奉げる。カゲコーラス、マリーの昂まりを歌う。
そんなマリーをロドリーゴ愛しそうに抱きしめる。
ロドリーゴ「マリー……あなたは逢うたびに私をより一層惹きつける……。あなたが望めば私は地の涯てまでもあなたと共に……」
マリー「(かぶせて、しかし幸せそうに微笑んで)いいえ……これ以上望むことは神様がお許し下さらないわ。ただ、あなたが側にいて、あなたの暖かな微笑みを感じていられればそれで十分なの……。私にとっての地の涯てはここ……。お話しはこれ以上進まないわ」
ロドリーゴ不安気な表情でマリーを覗き込む。
マリー「(にっこりと笑って)いいえ。そんなお話しだって、今まで見てきたお話しのどんな結末よりずっとすてきなのよ……」
ロドリーゴ「マリー……(強く抱きしめて突然抱き上げる)」
マリー「(驚きと恥じらいをこめた表情でみつめて)ロドリーゴ……!」
ロドリーゴ、マリーを抱いて隣室へ行く動きの中でフェイドアウト。
下手花道にマリーの私室方向を心配そうに見詰めるジェローム夫人が浮かび、すぐに溶暗。
(A)カーテン前。上手サスにイザベラ。下手にサンチョ。
イザベラ「……あなたは何か知っているの?」
サンチョ「(首を振る)」
イザベラ「あれほど生き生きとしたロドリーゴはかつてありません。何かあるわ。そうでしょう?」
サンチョ「(首を振る)」
イザベラ「お前が知らないわけがないでしょう?」
サンチョ「(頭を垂れたまま)奥様、本当に」
イザベラ「サンチョ!」
下手サス早い溶暗。センターにホアンが浮かぶ
イザベラ「お前なら何か聞いているのではなくて?」
ホアン「いいえ、伯母上。残念ながら」
イザベラ「ホアン!」
ホアン「いいではありませんか。気鬱に沈みがちだったロドリーゴが快活になったのなら、喜ぶべきことではありませんか?」
イザベラ「いいえ……あの明るさはどこか不自然です。(下手に移動しながら)あの子は父を17の年に亡くし名門グラナドスの当主として、気の進まない結婚も承諾しなければなりませんでした。以来あの子は自分の全てを押し殺してきました。何をしても心から楽しむ風でないあの子が不憫でもありましたが、それがグラナドス家として採らねばならない道であり、それが当然と私も育てて参りました。この国に置けるグラナドスの立場を理解すればいつかそんな気持ちも吹っ切れる日が来るのではないかと……けれど……。あの明るさは全てを理解し受け入れた明るさではないようで。ホアン、何かあるのなら、どうか愚かなこの母親に教えてください!取り返しのつかないことになる前に……」
イザベラの台詞の途中でホアンは消えている。下手に移ったイザベラ、一点を見詰めているうちにカットアウト。
(B)上手花道にオランジュリー侯爵、その後ろにジェローム夫人。歩きながら。
侯爵「最近、マリーが明るくおなりだね」
ジェローム「そうでございましょうか……」
侯爵「新しい楽しみでも見つけられたのかね」
ジェローム「(はっとして顔を上げる)」
侯爵「(かすかに笑って)あの若さでいくら総督夫人だからと言って屋敷に引きこもっていることはない。ここへ来てもう6年目を迎えるのかな。宮廷ではよく笑う笑顔の美しい少女だったのに、こちらでは滅多にあのこぼれるような笑顔を見せてくれることもなくて。まあ、これでも私は心配していたのだがね」
ジェローム「……侯爵さま……?」
侯爵「笑顔で過ごしてくれれば私は何も望まないのだが。と言って、私もどうやったら、彼女が笑ってくれるのか分らないのだがね(自嘲気味に笑う)。彼女にはそんな気持ちは理解できまい……。生来の無邪気さであの人が一途に思いつめたりしなければ……」
ジェローム夫人、凍ったように見つめたまま目をはずせない。
侯爵「すべては今のまま……これが彼女にも私にも一番いい選択なのではないのかな」
ジェローム「侯爵さま……」
侯爵「問題は知りたがりの弟だがね……知らなければ上手くいくこともあるというのに」
深いため息。ややあって下手に入る。