ぽりーん先生の観劇レポート vol.18

宙組東京新公もの申したい!!

[04/02/02]

掲示板に繋げるとなが〜〜〜〜くなるので、こちらで失礼します。
私もどうにかチケットを手配いたしまして、20日のかなみちゃんたち83期生最後の新公を見て参りました。
このお芝居はとっても演じ手としては難しいものなのですね…というのが、正直な感想でした。演出するのも難しかったのでしょうかねぇ?>新人公演担当

それぞれに生徒さんたちはがんばってやっています。それは宝塚のいいところでもありますが、やりたいことをやりたいようにやるには力量不足なところは新公にはありがちなことで、それは当たり前。そして、それを表現させるのが演出家の仕事。やりたいことが解らない生徒には道を引き出す、提示する。混乱していれば、整理する。当たり前だー。
表立ってストーリーを動かせない主人公。8年前の恨みを裏に表に見せながら、あくまで『伯爵令嬢』として可憐でなければならないヒロイン。紳士然としていながら総ての元凶である敵役。それぞれが内面を充実させ、繋げ、表現するというのはとても難しいことのようです。表の顔は真実ではないんですものね。それを言葉のとおりに演技するだけでは、シーンごと、セリフごとに違う人のようになってしまって、個人としての一貫性がなくなってしまいます。
今回特にヴィヴィアンヌにはそれが強く感じられました。
プログラムを読む限り、やりたいことは間違ってはいないのでしょう。でも、そのように伝わらないのはなぜなんでしょうか?ドレスの着映えはそりゃ、本役の驚異的なスタイルとは違いますから(^^;)、しょうがないところはありますが。姿勢はたしかに随分気をつけていたようです。
ランブルーズ侯爵。いいものを持っている男役さんだと思います。でもこの役の底知れない悪さとか、気品とか、そういったものを網羅した上で自分なりに表現するにはこの役は大きすぎたのかもしれないし、経験も足りないのかな、と。表現するに至らなくても「ああ、出来るならこういう風にやりたいのかな?」と観客に思わせることも今回は出来なかったのではないかと思いました。
ヒロインと敵役が一番内面と表現形に乖離があるわけです。で、その二人がきっちりと演じなければ、主人公の行動はまるで嘘っぽくなってしまいます。点と点の演じ分けはいいとしても(ランブルーズはこの点も弱かったかな?)、それを繋げる微妙な線がなかったらセリフのひとつひとつはまるで意味のないものになってしまいます。
そして、それを繋げるのは演出家の仕事でもあるんじゃないかと思うのですが。
新公学年はまだまだ若いです。人生経験だけでなく、舞台経験もとても若いんです。そんな生徒たちが本来自分のニンでない役を勉強のために演じるのであれば、課題を探し出す、もしくは提供されて、やってみることが大切なんだと思います。課題のない学習はあり得ないと思いますし。
特にこのような芝居であればなお更です。スターとして立っていられればそれだけで素晴らしいという役・作品だってありますが。この場合はそういう類の役でも作品でもなかったから、余計にそれを感じるのかもしれません。
観客が観て『何をやりたいのか解らない』ではやっぱり、困るんですよ。多少破天荒であっても、やろうとする、やってみることって大事だと思うし。まとめることだけが重要なんじゃないと思うんですよ(……いえ、演出としてこの新公がひとつの作品にまとまっていたかと言えば、どうかと思いますが)。最近の生徒さんは小手先で器用にまとめてしまって、思いもしなかった自分の可能性を探し出すこともできないんじゃないかと思うのです。
そして、それは演出家と生徒が二人三脚で行う作業なのかもしれないと感じた新人公演でした。

歌も弱かったですね。こんなに宙組って歌えなかったか?と思うほどに。
歌手がきちんと歌っている本公演に比べれば、確かに違うんですけど、それにしても、本公演で楽々と歌っている本役さんに改めて感心いたしました。