ぽりーんのおばかレポート〜『白昼の稲妻』の舞台背景 〜フランス革命後のお勉強〜〜

疑問が湧いたというのではなく、背景について知識が足りないから調べてみるのも、
宝塚を楽しむひとつの方法であり、当然の行為ですね。
フランス革命は子供のころに訳あって(^^;)しっかり勉強しました。
でも、ナポレオン以後にはなんの興味も持たなかったので、『愛あれば命は永遠に』の頃にだって別に調べてみようとも思いませんでした。でも、ちょっと興味の湧いた『白昼の稲妻』の世界。
少し、世界史年表をひも解いてみましょ〜〜〜(^^)。

王政復古

王政復古というのは日本における明治維新のころばかりを言うわけではございません。「王政復古のパリ!」といえば、ルイ18世とシャルル10世の時代のフランス。この二人は言わずと知れたルイ16世の弟たち。プロヴァンス伯とアルトア伯。ですから、この時代はブルボン朝の復活の時代なんですね。そう言えばアルトア伯は『ベルばら』原作でとても陰険な目つきをしていましたねぇ。
『白昼の稲妻』の舞台はこの時代のふか〜〜い因縁(というか勝手な横恋慕^^;)が物語を進める遠因となっています。
ヴィヴィアンヌは8年前に父親と兄を亡くしました。そして、母親も失意のうちに亡命先のイギリスで亡くなっております。
キーワードは『8年前』『アルジェリアとの戦争』。

アルジェリア出兵

アルジェリア出兵が強行されたのは1830年のこと(この年オーストリアではフランツ・ヨーゼフ1世が生まれています^^;)。フランス史に輝く7月革命の年の、その寸前に始まりました。言い出しっぺはシャルル10世。そして、アルジェリアの占領が完了したのは1839年。
…つまり舞台における『今』はそのアルジェリア出兵から8年後のことですから、ヴィヴィアンヌが帰国した頃にはまだ占領は終わっておらず、「戦争は続いてる〜」状態だったってことでしょうかね。
で、そのアルジェリアとの戦争を始めて王位の安泰を図ったらしいシャルル10世ですが、出兵後の選挙では反政府派が圧勝し、己が発動した勅命(7/26公布)によって民衆の蜂起を呼び、結果的には7/29に終結する7月革命で『自由の女神』に破れ、外国へ亡命。体勢の崩壊となるわけですね。
その際、大銀行家が臨時政府を組織したりしています。劇中「そこまでの力はまだありません」などととぼけたことを言うヴェルネ氏ですが、どうしてどうして、それなりの力の片鱗はこのころからすでにあったはずです。 さて、シャルル10世の後を受けて革命終結後の8/9に王位に就いたのは従兄弟のオルレアン公ルイ=フィリップ。同じブルボン家の人なんですけど、この時代はブルボン朝とは差別してオルレアン朝と言うそうです。同時に『7月王政』とも言います。彼は従来の貴族の土地所有と血統に基づく特権を否定し、権力の基盤を富と生産に置いたのだそうです。また、産業革命の影響がフランスにも現れ始め、金融貴族と呼ばれる新興の人たちを呼んだのもこのころ。
彼の治世はこの1830年から48年まで。つまり私のお慕いするランブルーズ侯爵さまをパリ社交界から消した国王はこの人です(恨)。富が権力の基盤なんて考えを政治にも反映するような人ならどうして、たかが一伯爵ごときを陰謀の末に抹殺したくらいであんな仕打ちをするのかしら(怒)。
そんな国王の政治姿勢はブルジョワの台頭をよび、貧富の格差をよび、その結果、ヨーロッパ史上に燦然と輝く1848年革命の引き金、2月革命を引き起こすことになるわけですね。ブルボン家の人たちはヨーロッパの歴史を変えるためには必要不可欠な人たちなんですね。
退位したルイ=フィリップはとりあえずイギリスへ亡命し、以後、フランスは第2共和制へと時代は移すわけです。

当時のアジア史

ショーのこともありますし(^^;)、ついでにその当時のアジアというか、南海史も見てみましょうか。ちょうどアヘン戦争なんかの時代です。
ジャンヌに言わせると「身勝手な国民」(^^;)であるフランスはただの言いがかりとしか思えない因縁つけて軍艦を砲撃するなんて今のご時世じゃあ考えられないことしちゃってます。もっともそんなことされたってベトナムにはフランスに対抗できるだけの軍事力なんて持っていなかったのでした。
そんな事件から10年あまりの後、国王もナポレオン3世(在位1852〜70年、いわゆる第2帝政期)に代わってから再びフランスはその野心を剥き出しにして艦隊を派遣し、南部ベトナムを占領します。以後、領土を広げ、ついには1887年に全土を統括する総督府を置くに至り、フランス領インドシナ時代が始まります。また、この年からは徹底的なフランスによる同化政策を課せられ、民族の尊厳を踏みにじられることになります。同化政策以前はベトナムも漢字表記だったようです。皇帝のお名前も漢字とカタカナの両方で記載されていますね>日本の教科書
日本のベトナム侵攻を経て、ベトナムは1945年に一応の独立を果たしますが、フランスがベトナムから完全撤退するのは1956年まで待たねばなりません。もちろんその間も戦争は止んでいません。フランス軍撤退以後はアメリカが介入して泥沼のベトナム戦争へ発展していくわけです。ベトナム戦争の終戦は1975年ですから、ずいぶん長いこと戦闘状態だったわけですが、それが終わると、今度はタイやカンボジアとの戦闘が繰り広げられ、世界史年表からベトナムの名前を見なくなるのは1990年に入ってからのことです。
それが、スーリンとグエンの国、ベトナムの超簡単でいい加減な概略です。芝居とショー、何の関連もないわけじゃあないんですね(^^;)。>宝塚
グエンといえば、ホーチミン氏の本名もグエンというらしいし、グエン朝というのもあったらしいし、苗字なんですよね?ということはスーリンは日本でいうと「山田!」とか「鈴木!」とか愛する人にゆっているわけね(^^;;;;

《参考文献》
山川出版:世界史小事典(第2版)
吉川弘文館:標準世界史年表(第30版)
吉川弘文館:標準世界史地図(増補第28版)