外伝 ベルサイユのばら−ジェローデル編−

市川初日、市川文化会館前の公演案内用電光掲示板には『ジュローデル編』となっておりました。
↑翌日には直ったらしいけどね

外伝

ってのは、物語の外側の人たちが中心のお話しを進めるモノなんですか??
あそこまで脇の人に『ベルばら』をやらせることが土台無理だと思うなぁ。
漫画の方の外伝は登場人物は使うけど、筋そのものは本編とは関係のないことよ?
それにね、どんなに主演男役さんがいても、そこにオスカルさまがいたら、その場の主役はオスカルさまでしょーよ(+_+)。
長年のくせってゆーか、ジェローデルは見れないもんねぇ(^^;)。
だいたい、原作でジェローデルが出てくるのも
1)ジャンヌ事件でニコラスの代わりに分隊(?)を任される1コマ/4巻
2)ソフィアの馬車を助けるシーン/5巻
3)オスカルさま婚約未遂事件/6巻
4)国民議会封鎖シーン/7巻
のみですよ。3)以外は誰でもいいのよ、その程度の脇役よ(^^;;;;;

目先の1000円がもったいなくて、プログラムは買いませんでした。なので、プログラムにここにある疑問に解説が載っていたとしたら私のミスでございます(^^;)。

1795年10月

某公演評によると、このお話しは1795年10月のことだそうです。
1795年10月というと、ヴァンデミエールの反乱という王党派の蜂起が起こった時です。
でまあ、この反乱をナポレオンが大砲ぶっぱなして鎮圧し、国内軍司令官になります。つまりナポレオンがトップに昇り始めたころのエピソードがこのジェローデル編なわけです。
でもねぇ…ナポレオンの暗殺未遂事件が頻発するのは彼が統領政府の第一統領になった頃かららしいので、そうすると1798年の終わりということになります。
それとも、ジェローデルはこの時蜂起した王党派の残党で、出る杭はその瞬間に打っちゃえってことで、ナポレオン暗殺頻発の時期に先駆けること3年も前から流行の最先端を行ったってことなんでしょうかね。

この時代設定から考えますとジェローデルは40歳未満ということになります。あらすじによると1755年生まれのオスカルの方が年上ということになっているので。5歳以上も年下の男に6巻みたいな偉そうなこと言われたら、私だったら許せませんので(^^;)、3歳以内の差であってほしいのですけど。本当は何歳の設定なんでしょうね。
…でも、「あなたが士官学校も終えないうちに王太子妃付の近衛仕官として入隊した」という台詞からは、どう聞いてもオスカルが入隊した時、ジェローデルはすでに近衛隊に入隊済って感じなんだけどなー。オスカルより年下ってのが全然納得いかないわ。

…まあいい。このあたりの設定を決めたのはナポレオンのお話しも漫画化した原作者さまなんだろうから、私より詳しいはず。私がとやかく言うことではございません。

でもやはり主題歌も新しくして、宝塚の『ベルばら』なら当然あるべきシーンもナンバーもないなら、これまで使ってきた数々の台詞も出さないとか、原作の台詞も一切使わないとかしてくれないと。
ジェローデルの話しなんだから、バスティーユもどき(いや、確かに7/14のシーンだけどさ)の場面なんていらないでしょ。
それになんと言っても気持ち悪いでしょー!!!この間の公演で違う役を演じていた水夏希さんが同じフェルゼン帰国のシーンで同じ台詞を言っているとかいうのは。

フェルゼンのフランス在住期間

そうそう、フェルゼンのフランス在住期間はけっこう長いです。
1773年から16世の即位直後までの半年あまり、1778年からアメリカ独立戦争に従軍するまでの約2年、そこから帰って来た1783年の一瞬。
1785年以降はスウェーデンの意図もあってパリ在住だそうですが、1788年のロシア−スウェーデン戦争には従軍しているので、この年はフランスにはいません(1年間ずっとではないかもしれないけど)。その後はヴァレンヌ逃亡(1791年)までいたんですかね?
7巻終盤のスウェーデンのご実家シーンはたまたまVISAかなにかの関係で(^^;)一時帰国されていたってことですか(^^;)???

このVISAの書き換え帰国(^^;)はもちろん、バスティーユ前の出来事です。スウェーデンを発ったのは7/10ごろのようです。…ここならマロン・グラッセさんは生きてるな(^^;)。オスカルも生きてるけどさ(^^;)(^^;)。

そして、バスティーユ陥落後のフランスで王妃さまと再会して、後ヴァレンヌまで滞在、ヴァレンヌ失敗後、ブラッセルあたりに亡命したようです。
…ん?とすると、宝塚バージョンのあの身を引き裂かれるようなスウェーデン帰国宣言のシーンはいったい何年の出事???
たかが、VISAの書き換え(^^;)帰国の時に、あんな胸も張り裂けよと言わんばかりの大仰な別れするものかしらん(^^;)???

でもまあ、このシーン、マリー・テレーズとルイ・シャルルしかお子様はいないようですから、時間的な間違いはございません。ルイ・ジョゼフをムードンにお移し遊ばした後の話しかも知れないしね。彼が発病したのが、冬で、アントワネットが「この子はまだ7歳にしかならないというのに!!」と泣き叫ぶシーンもあります。ジョゼフは10月の生まれなので、すでに7歳になっているということは発病は1788年の暮れ。宝塚バージョンのフェルゼンとの別れのシーンは1788年暮れ以降のシーンということになります。
ルイ・ジョゼフが8歳の誕生日を待たずに夭逝したのは1789年6月のことです
…でも、母親だったらいくらなんでも情夫との別れより、生きるか死ぬかの息子の方が大事なんじゃないかしらん(^^;)??

まあ…いいや。

ソフィア

この作品の中でジェローデルとソフィアは変りモン同士、気が合い、プラトニック(^^;)に親交が深かったということです。
原作におけるソフィアのフランス逗留期間を検証してみましょうか。
彼女は4巻半ばでフランスに来ています。財務長官・カロンヌのクビ事件の直後、雪の降る中、ロザリーがポリニャック家を飛び出した頃の出来事なので、1787年の冬ってことになります。…カロンヌの後釜のブリエンヌが就任したのは4月らしいけど…。ま、昔のフランスだ。その頃に雪だって降るんだろう。
で、5巻の冒頭でスウェーデンに帰っています。これも原作の前後関係から1788年のことのようです。お兄様とは一緒に帰っていませんけどね。
したがって、1年ほどの逗留期間となります。

その帰国の途中、馬車の車輪を取られて難儀しているところにオスカルとジェローデルが出くわすわけです。ジェローデルはこの時、難儀しているのが誰か一応判別したようにも思えますから、まんざらお知り合いでなかったわけではないのですね。
ジェローデルとフェルゼンが知り合うチャンスは0ではないでしょうね。ロザリーだってフェルゼンとお知り合いなわけですし(^^;)。ジェローデルはオスカルの副官だし、傍に控えていれば、お互い顔見知り程度にはなると思うけど…。でもだからと言って、ソフィアと文学やら美術やらについて語り合うほど、お友達になるというのはちょっと解らん(+_+)。しかもお別れの挨拶を愛の神殿前でするほどというものもっと解せませんな。知り合って1年くらいしか経たないっていうのに。あ…いや、女嫌いで通っていたジェローデル様でも、フランス男だ。手が遅いわけはない。

まあ、いいでしょ。

でも、ソフィアとの出会い(があったとして)と別れは原作ではオスカルさま婚約未遂事件の前なんですよね。

ソフィア帰国

上記のようにソフィアは1788年には故国に帰っています。オスカルの婚約未遂事件はその年の9月で、11月にジェローデルが身を引いているわけでございます。そんなこと、年号がいつだとか、季節がどうとかなんて、普通に原作のページをめくっていけば、おのずと解りますけどね(^^;)。
でもなぁ…ソフィアが帰ったのはジョゼフをムードンに移してから後の話しだから、ジョゼフの発病の時期を考えると、帰国は88年の暮れかぁ……。
ソフィアとの関係とオスカルへの想いは並行してるんだぁ……。だめじゃん……(・・;)。
しょうがない。だめだけど、まあ、いいでしょ。

しかしですよ、スウェーデンの大貴族のお姫さまがいくらジェローデルさま恋しさのあまりと言っても、バスティーユ直後であろう情勢不穏な時期に単独フランスになんて行きますかねぇ。
…ん?とするとヴァレンヌの頃にはもしかしてソフィアはフランスをフラフラしてたんだろうか……???
…宝塚の登場人物はパリの街を人を探して一人、さまよい歩くのが好きな人が多いんですわ。ラッチマン探したり、バーサット探したり、ランブルーズ侯爵を探し回っていた人もおりましたな。

だからね、修道院に入ってもいいから、それはスウェーデンで入ってくれないだろーか???
…そうすると、空間的な問題が起こるからまずいのよね。ナポレオン暗殺に失敗して、左胸、右下腹部にあんな大量の出血するような手傷を負っているわけだし。……ジェローデルって右胸心だったのかー(^^;;;;;;;

それにしてもフェルゼン家ってみんな結婚しないなぁ。ファビアンくんはちゃんと嫁をもらって、子を成し、家を存続させたんだろうか……?

ところで、キリスト教のご出家(^^;)には宗派とか関係ないのでしょうか??ジャコバン修道院はドミニコ会の修道院です。
ドミニコ会の発祥はスペインでございます……。

で、そのジャコバン修道院はパリではサントノレにあったようです。
…そこで後年のジャコバン派の皆様が集会を開いてたことが、党派の名前の由来です。
この作品の中ではジャコバン修道院は女子修道院のようですが、そこでヤローが政治集会…?女子修道院でヤローが徒党を組む??
………私はキリスト教のしきたりはまったく解りません。うん、きっと男女それぞれの修道院があったんでしょう(^^;)。

まあ、いいでしょ。現役を引退して久しい私は宝塚のどんな駄作にも寛容なはず。

その修道院にジェローデルを探してフランスに来たソフィアが憔悴しきって出家したのもよしとしましょう。
しかし、1795年にすでにそんなに偉そうな態度で出て参りますかいな??
舞台上のすべてのシスターたちにずいぶん慕われていたようですが、30代後半(←フェルゼンの妹ですからね)というお若さなのに?
しかもバスティーユ陥落付近にはまだご実家にいらしたのですから、95年なんて出家してそんなに得度(^^;)を積んでおられるとは思えませんけどねぇ…。それでも院長さまなのかしらん???
…キリスト教の教会で偉くなるためには、階級をクリアしないといけないんではないですか?修道院はいいのか(^^;)???

いいえ、大丈夫。現役引退した私の心は宇宙のように広いはず。

だから、別に登場人物がどーのとかいいんです。
食べてもいないのに、「あなたはバラの花びらを食べるのですか?」とか言うこととか。
原作では『ヌーベル・エロイーズ』のことを「なに、他愛もない恋愛小説ですけどね」とか言ってた人が、舞台に乗ったら急に感動してみたり。
そんなこともどうでもいいんです。
フェルゼンの扱いがただの吟遊詩人だったとか。
フェルゼン家にはハンスさま付のじいがいるのに、フランスからはるばるやってきたマロン・グラッセに支度を手伝わせるとことかも。しかも宝塚ではバスティーユ陥落の知らせをジェローデルがはるばるスウェーデンまで知らせに来ることに決まっているので、この時点でばあやは亡くなっているはずなんですけどね(^^;)。
オスカルがコメディリリーフだったとか、日本語のプラカードもKYなソフィアの言動もどうでもいいんです。
言うだけ無駄なんです。作品そのものが投げやりなんですから。

あれを市川初日1列目でご覧になっていた池田理代子先生はどう思われたんでしょうか?
あれは本当に池田先生が用意された原案通りなんでしょうか?

出来るか出来ないかはおいといていいなら、1804年12月2日のナポレオン戴冠式の日におっさんになったジェローデルが自分の最後の矜持をかけて、暗殺未遂したっていう方が納得できるわよ。
主演コンビとして作品を作らないくちゃならないっていう呪縛から離れちゃえばいいのよ。
そんな呪縛があるから無理やりロマンスを作らないといけないし。いいじゃん、私にとってはつまらないけど、男の話しで。
だってジェローデルにとって、かえる場所(しかもそれが女)なんて特に必要ないと思うんだけどなぁ。
貴族社会の形としての結婚とか、享楽を満たすための恋愛とか、そんなの普通に受け入れているでしょ。
安息なんて求めてないでしょ?

オスカルが死んだのも、ブルボン王朝が滅んだのも、そしてその急先鋒だったロベスピエールさえ死んだのも、それが帝政へのプロローグになってしまったことが許せないっていうことならまだ解る。
ジェローデルはどこまでも貴族なんです。
オスカルが守ろうとしたものも、きっと立場は違うけど理解はしたはず。
ルイ・オーギュスト・カペーが最後にすべてを受け入れて断頭台に上ったことも理解したはず。
ロベスピエールのことだって共感はできるはずもないけど、理解はしたんだと思う。
ナポレオンも時代が呼んだってことで理解していたと思う。
だって、歴史の歯車を逆に回すことはできないんだもん。ですよねっ?池田先生??
だから老境に入る頃に起こった帝政への動きだけが理解しがたいことだったんじゃないかと、対岸の火事を見ながら自分のアイデンティティが崩れていくさまをすべて運命に任せて受け入れていたのに、崩れ去ったアイデンティティの墓標が帝政だったなんてそれだけは受け入れがたくて、その果てに冷静な人が無謀な行動を取ったっていうならいいじゃない。
せめてジェローデルを無理やり主役に据えるなら、そういう外伝であって欲しかったんですよっ!!!

だって、私、ジェローデル好きだもんっっっ!!!

そうそう、ジェローデルの本名はヴィクトール・クレマン・ド・ジェローデルとおっしゃるそうです。

《参考資料》
吉川弘文館『標準世界史年表』
ウィキペディア フリー百科事典
フランス革命大解剖 http://www5a.biglobe.ne.jp/~french/indexx.html